この自己紹介は読まないで下さい。(マインドフルネスで救われた話)

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◆ ご縁に感謝
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この自己紹介は読まないでください。
なぜなら、こっ恥ずかしい素の私が出てしまっているから。
でも、このページにたどり着いたのも何かのご縁。
そう思っていただける方は、どうぞ、先にお進み下さい。

KON(小西イサオ)
兵庫県在住。神戸市出身。
京都産業大学理学部物理学科卒

趣味:農業、映画鑑賞、映像制作、パン作り、瞑想、読書、DIYなど多趣味。
過去には、スキーやボウリング、ウッドバーニング(一応、認定講師)に
はまっていた時期も。

家族:妻一人、高校生の娘一人、小学生の息子二人の五人家族。

仕事:大学卒業後、ケーブルテレビにて制作職。その後、WEBディレクターを
経て、現在は某情報通信企業にて勤務。

そのかたわら、クラウドファンディングのサポートや
一般社団法人Read For Action協会認定リーディングファシリテーターとして
読書会の開催、農業関係の団体のサポート、マインドフルネスの普及活動、
映画制作、本の執筆などを行っています。

座右の銘:「吾唯足るを知る」
「できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ。」

好きな映画:バック・トゥ・ザ・フューチャー、ニュー・シネマ・パラダイス、
ルパン三世カリオストロの城、青春デンデケデケデケなど

好きな作家、漫画家:久住昌之、原田宗典、星新一、神田昌典、藤子不二雄、
泉昌之、高橋留美子、松本零士など

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◆ ネクラな中学生時代。カンニングの指摘で廊下で蹴り飛ばされた日
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神戸市出身と書きましたが、みなさんがイメージされるおしゃれな
港町という都市部ではなく、周囲は山と田畑に囲まれた田舎の方で
育ちました。

小学校の頃から読書好き。どちらかというとスポーツは苦手でした。

中学生の時は、絵が上手い友人の影響で美術部に。
当時はやっていた言葉で言えば「ネクラ」です。宇宙戦艦ヤマトとかガンダム、
マクロスといったアニメも好きだったので「オタク」の走りです。

中学2年か3年生の時に学習委員に選ばれました。

その頃、妙な正義感があって、小テストでカンニングをしている友達が
許せなく、学級会でカンニングをしている人がいると発言。

さすがに名指しはしませんでしたが、同級生としては、腹が立ったのでしょう。
そのTくんに嫌がらせをされるようになってしまいました。

学習委員としては、ちゃんと勉強して欲しいという思いだったのですが、
その気持が裏目に出てしまったのです。

さらに、友達がTくんにイジメられていた現場を見て、
またしても正義感が顔を出し、やめろと割って入ったこともあります。

漫画なんかだとそこから友達が助かって、自分がヒーロー的な展開が
待っているのですが、現実は、「じゃあお前が代わりになれ」と、
矛先が自分に(苦笑)

Tくんは、身体が大きくて僕は小柄だったので、逆らえません。
Tくんの仲間と一緒に囲まれて、小突かれたり廊下で蹴り飛ばされた
こともあります。

その時、クラスの女の子が「みんなで一人をいじめるのは卑怯だ!」
みたいなことを言って助けてくれました。

それは良かったのですが、女子に助けられたというのは、
自分の中で屈辱でした。

そんな訳で、クラスはあまりおもしろくなかったのですが、
部活動は楽しかったです。気の合う仲間や後輩と絵はあまり描かずに
雑談ばかりしていたように思います。

部活動が僕の救いでした。部活動考えた人、天才!って思ってました。

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◆ オタク街道まっしぐらの中で映画への執着が始まる
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そうして、高校へ。中堅の上くらいの学校で、非常に自由ないい学校でした。

Tくんとは、別の学校になりましたし、文化部でネクラではモテないと思い、
テニス部に。しかし、元来の運動音痴で、全くうまくならない。

結局、途中でテニスをやめて、友人が入っていた美術部に入りなおしました。
今度も絵は描かずに、8ミリフィルムカメラで紙アニメを制作していました。
もう、オタク街道まっしぐら(笑)

この紙アニメは、文化祭に間に合わせようと作り始めたのですが、
描いても描いても終わらないんです。

最後の一週間は、5日間の合計睡眠時間が8時間くらいで、高校3年生なのに
授業中も絵を描いてました。先生にもバレていたと思いますが、
許してくれていたんでしょうね。

そして文化祭前、そのアニメを試写した時、強烈な体験をしてしまいました。

背骨をものすごいエネルギーが突き抜けたというか、
よくたとえ話で背筋が寒くなるとか、体がしびれる感動とか言いますが、
まさにその言葉がピッタリでした。

あんまり書くと頭がおかしいと思われますね(笑)

ただ、なぜかその当時、世の中の全てを理解したというような気分があり、
世界は自分のものだというような感覚がありました。
その感覚は、時間が経つにつれて薄れていくのですが、今でも何だったのか
よく分かりません。

まあ、それほど、自分が書いた絵が動くというのは強烈な
体験だったのでしょう。

一方、高校では、SF好きが高じて理系クラスに。
特に銀河鉄道999というマンガが好きで、宇宙に対するあこがれがあって、
ぼんやりと宇宙について勉強したいと思っていました。

ところが、その年の冬、受験の真ん前の時期に
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画を見て衝撃を受けました。

アニメを自作するくらいなので、もともと映像が好きだったのですが、
この映画は群を抜いていました。

理系クラスにいるのに、芸大を受けて映画を学びたい!と強く思って
しまいました。

しかし、受験目前だったこともあり、親に言い出せずに結局、
最初に決めていた通り、理系の大学で物理を学ぶことになりました。

この映画への思いは後々、ずーっと自分を苦しめることになります。

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◆ 幸せとは何かと思い始める大学時代
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大学は、京都の大学でした。
初めての一人暮らしでいわゆる下宿生活です。
大家さんのおばあさんが、1階に住んでいて、2階に6部屋くらいあり
共同風呂に共同炊事場、共同トイレでした。

初めての一人暮らし、初めての土地、友達もいない。

しかも、心の隅では、自分は芸大に行くべきではなかったのかという
思いもあり、大学生活が始まってしばらくして、ホームシックになって
しまいました。

何か、無性に毎日が虚しいのです。生活に張り合いがなく、
楽しくないのです。

その頃、心理学の本をたくさん読み、また、幸せとはなんだろうかと
思索する毎日がありました。これが、今のマインドフルネスの活動へ
つながったのだと思います。

そうしているうちに、一人で悶々としていてはいけないとと思い、
大学の映画研究部に入りました。

それからは、勉強よりも映画作りに力を入れる日々。
やっぱり将来は映画監督になりたいと思い始めました。

そして、大学卒業。同級生たちはみんな、大手電機メーカーの
研究職として就職する人が多かったのですが、僕は一人、テレビ局や
映像プロダクションなどを受けていました。

当時はバブル絶頂期。超売り手市場と言われた頃で、
中小企業などはすぐに内定を出してくれました。今思うと、変な時代でしたね。

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◆ 社会人になり仙人との出会う
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その後、某テレビ局の最終面接までいったのですが、残念ながら落選。
今や大手会社となったナムコや小林製薬、リプトンなどから内定を
もらっていたのですが、結局、新聞の求人欄で見つけた小さな
ケーブルテレビ局に入社することにしました。

ここは、小さい人数でやっていたので、何もかも自分でやらないと
いけなかったし、残業時間も超長かったですが、今で言うベンチャー企業の
ノリで、毎日が部活動の延長でした。

まだ、開局前の時期に入社し、番組ガイド誌の制作からテレビのリモコンの
使い方の説明、時にはお客様のところにお邪魔して、ビデオの録画方法を
説明したり。今思うととても、いい経験をさせていただきました。

一方で、映像の仕事に近づけば近づくほど、物語性のある映画を
作りたいという夢が大きくなり、コツコツとシナリオを書いては
コンテストに応募したり、内館牧子さんが通っていたシナリオ学校に
通ったりしていました。

そんなある日、不思議な体験をします。
夢の中でのこと、何か山のような所を自分が登っていて、
頂上に着くとそこに広い長いヒゲをたくわえたお爺さんがいるのです。
いわゆる仙人のような格好をしていました。

そして、その仙人が僕に向かって言うのです。
「よく登ってきたね。7年後にまた会おう」
その瞬間、仙人はポワンと消えてしまいました。

なんだかよく分からない夢でした。ただ、かなり強烈な印象と大事な夢の
ような気がして、会社に行って同僚にこんな不思議な夢を見た!
と吹聴して周りました。

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◆ 結婚するも満たされない日々
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就職して4年目、26歳の時に結婚しました。
もちろん新婚当時は、楽しかったのですが、どこか満たされない気持ちが
ありました。

なにか楽しいことがあれば、その時その時はウキウキするのですが、
ふと気が付くと、虚しい気分が広がるのです。

それは、映画監督になりたかったのになれなかった事が原因だと
思っていました。

映画監督への執着が自分の中でものすごく高まっていったのです。
その気持をなんとかしたいと、色々なものに手を出し始めたのがこの頃です。

心理学系の本は、言うまでもなく、知人の紹介で、ある新興宗教の集まり
にも参加し始めました。結構大きな団体で、経済界などにも信仰されている
方がいる団体です。

そこで瞑想と出会いました。その宗教のやり方で経典を読み、瞑想するのです。
熱心に活動されている方と知り合い、引っ張られるように集会に参加したり、
救われたという方の講演会を聞いたりしていました。

結局、教えは気に入ったのですが、団体としてのやり方が合わず、
しばらくして活動には参加しなくなったのですが、なぜか瞑想だけは気になり、
その後も熱心に続けていました。

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◆ 阪神淡路大震災で後輩が亡くなる
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1995年、あの阪神淡路大震災が発生します。
私が住んでいたのは、震度4の地域でした。

幸い、自宅の被害は大したことはなかったのですが、会社は震度7。
高速道路が横倒しになったすぐ近くにあったため、
メチャクチャになってしまいました。電車も道路も通れなくなり、出社不能。

約一週間経つと途中まで電車が動くようになり、電車で通えば1時間ほどの
距離を、毎日、半分は電車、そこから先は自転車で被災地の中を横断して、
勤務先へ通いました。

距離にすると往復25キロ位、毎日自転車で走っていました。

職場では、被災者の方へ少しでも情報提供しようと避難所の情報や炊き出しの
情報、公共機関からのお知らせなどを放送していましたが、職場自体の被災も
ひどく、ヒビの入った建物の中でごく簡単な番組を作っていました。

また、残念なことに高校時代の美術部の後輩がこの地震で建物の下敷きになり、
亡くなってしまいました。享年25歳。

まだまだ、これからやりたかったことがいっぱいあったと思います。

職場の同僚にも、家が崩れて屋根と床の間にできた僅かなすき間のおかげで
命拾いしたという人や、崩れた屋根を掘り起こし、近くの人を救助しようと
したけど、死んでいる人を掘り起こすばかりだったという人が大勢いました。

震災の日から一年くらいは、普通の状態なら倒れてもおかしくないくらい
ハードな日々でしたが、一年中、脳からアドレナリンが出ていたように
思います。

なぜ後輩が亡くなり、自分が助かったのか?
「自分は生かされている」という思いを強く感じました。

結局、映画監督への夢は、電車が不通になり、シナリオ学校に通えなく
なった事から、段々と小さくなっていきました。

そして、阪神淡路大震災から1年くらい経った頃、そのケーブルテレビ局で
自分がメインで制作する地元情報番組が始まり、ますます、多忙になって
いきました。

この番組作りも、少人数で手作りでしたので、毎日が知恵と工夫の日々。
お金はないので、アイディアを出し合って作っていました。

番組作りは、非常に楽しくて、こんな遊んでいるようなことでお給料もらって
いいのかしら?と思っていました。

実は、今でも自主映画を作ったり、ボランティア的にPR映像を作って
いるのですが、当時、番組制作で学んだことが、今も役立っています。
人生にムダはないというのは、本当ですね。

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◆ 映画監督になりたかった
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それから毎日毎日、撮影して、編集して、企画を立ててという日々を
過ごしました。

しかし、当時は、人生の法則に気づいていなかったので、
楽しく仕事をしながらも、心のどこかで

「こんな楽しいことはいつまでも続かない」
「オレは、ケーブルテレビの番組づくりで一生終わるんじゃなく、
映画監督として世界にデビューするはずだった」

という中学生も恥ずかしくなるような妄想を抱いていました。

心の底には、「映画監督になりたかった」という欲望が渦巻いていて
いたのです。

阪神淡路大震災で生かされている、生きていることはありがたいと
思ったのにもかかわらず、我欲は、そう簡単に捨てることが出来ないのが
人間です。

阪神淡路大震災で何を学んだのか、当時の自分に言ってやりたいです。

そして、5年後。勤めていた会社が、別の今や日本最大のケーブルテレビ
グループとなった会社に買収されました。

一応、合併ということになっていましたが、人数的には私がいた会社の
ほうが圧倒的に小さく、売上規模も完敗。元の会社は、経営が思わしく
なかったので、救済合併のようなものです。

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◆ ストレスな日々で眠れない日々
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合併とともに、自分が担当していた番組も終了。

新しい会社で新しい番組をスタートすることになりました。

しかし、同じように番組を作るだけなのに、周りのメンバーが変わると、
こんなにもやりにくくなるのか!というほど、大変な状態に。

今までは、ほとんど自由に自分たちがやりたいことを企画し、
番組にしていたのが、あれやこれやと制約が増え、また、何でも反対する人が
いたり、とてもとても「やらされている感」満載の状態になっていきました。

さらに、ただでさえ少ない人数でやっていたのが、更に少人数になり、
おまけにやることはどんどん増える。これが、自分がやろうと決めたことを
やるのであれば、ストレスもそれほどかからないのですが、やらされ感の中で、
どんどん多忙になっていくので、ストレスがますます積み上がっていきました。

おまけに、新しい会社の現場は、かなり厳しい人も多く、怒鳴られることも
しばしば。

やがて、元いた会社のメンバーは、そんな肩身の狭い状況からか、
一人去り、二人去り。。。

同じように番組を作っていた同僚は、休みなしで長時間労働をして、
まさに死んだ魚のような目。

ひょうきんな性格だったのに、引きつった笑いになり、表情が乏しくなって
いきました。

僕自身も新しい環境になじめず、ハードスケジュールで段々と
眠れなくなっていきました。

一番忙しい時は、15分単位で仕事のスケジュールを入れていましたが、
結局こなせるわけはなく、食事や睡眠の時間を削る日々。

コンビニでおにぎりを買い、会社に向かい歩きながら、それを食べたり
していました。

その頃は、自分がおかしいとは思っていませんでしたが、
それまでなら、プレッシャーに感じなかったような仕事でも
ひどくストレスに感じるようになってきました。

休日も仕事のことが頭を離れず、あるビデオ制作の時に、
どうしても自分にはできない。とんでもない失敗をしでかすに違いない。
もうダメだ!と今考えると、ぐるぐるとマイナス思考の渦に巻き込まれて
いました。

そして、もう死ぬ思いで当時の上司の自宅に電話をかけ、その仕事を
外してもらうようお願いしたのです。

涙こそ流さなかったのですが、声は震え、今にも泣き出しそうな状態を
必死にこらえていました。

それで少し、気が楽になるかと思ったのですが、新しい仕事は次々にやって
来ます。もうダメだ。仕事を辞めるしかないと思い詰めた日々が続きました。

しかし、子供も小さくて簡単に仕事を辞めるわけにはいきません。
毎日毎日、仕事を辞めたい。もうダメ。でも辞めるわけにはいかない。
と悶々とした日が続きました。

あんなに好きで楽しかった映像の仕事が、こんなにも辛くイヤなものに
変わるとは。やることは変わっていないのに意味づけが変わって
しまったのです。

毎晩毎晩、眠れない日々が続きました。

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◆ 明け渡し体験
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そんなある日のこと、明け方のことです。

いつもの通り、眠れないまま朝が近づき、浅い眠りでウツラウツラして
いると、それがやって来たのです。

それとは、何か?

頭がおかしいのではないかと思われても仕方がないのですが、
偉大なる何かです。

人によっては神様と感じる人もあるでしょうし、
創造主やサムシンググレートと呼ぶ人もいます。
あるいは、潜在意識とか阿頼耶識とか。

僕にもあれが何だったのかは分かりません。

ただ、分かるのは、ウツラウツラしていた明け方、突然頭の中にそれが、
アクセスしてきたこと。そして、言葉ではなく瞬時にこの人生の仕組みに
関してのメッセージが伝わったこと、一瞬にして、それを理解したことです。

それ以来、辛い日々が反転しました。

ちょうど、あの仙人の夢を見てから7年後の出来事です。
本当にもう一度、出会ってしまったのです。

あまりのストレスに脳がおかしくなってそんな状況を作り出したのかも
しれません。

でも、僕はあの体験で救われました。人生の法則を知ってしまったからです。

どんな法則かは、直接お会いした時にお聞きください。
ここで大ぴらに書くのは、さすがに常識からかけ離れているので
控えさせていただきます(笑)

仕事の状況としては、相変わらず、忙しいし、怒られる日々でしたが、
気分は前向きでした。

最近になってこの話を、周りのこういったことに抵抗がない方に
話をすると、意外に同じような経験をしている人がいます。

そして、これを調べると、「明け渡し」という体験のようです。

まさか、こんな体験が他の人にもあるなんて、ちょっと驚いています。

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◆ Web業界への転職
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ちょうど21世紀に入って少しした頃、前向きな気分の勢いに乗り、
僕は、Web業界への転職を考え始めました。

なぜWeb業界か?

阪神淡路大震災の時に、被災者の安否確認にインターネットが役立つと
聞き、1995年からインターネットを使い始めていました。

元々、シナリオ学校に通っていた時にワープロとしてパソコンを購入し、
インターネットを始める前にはパソコン通信というマニアックなものにも
手を出していました。

自分のホームページを作ったのが1996年頃で、個人としてホームページを
持っている人はまだ少ない時代でした。

それから、細々とホームページ作りを趣味にしていたのですが、
これからは、ネットでも動画が流れる時代が来ると感じ、Web制作を志した
のです。

でも、プロとしてやっていくには、力が足りないと思い、土日を利用して、
社会人向けのWebスクールに通いました。

そして、転職活動を経て印刷やシステム、映像など色々な情報を扱う会社に
採用となりました。

あの辛い日々から、いわゆる「神様」と出会い、人生が大きく
好転し始めたのです。

Web業界に転職してから、順風満帆、と言いたいところですが、
そうは上手く行きません。

つらい毎日から落ち着いた毎日になると、
再び、我欲が首をもたげてきました。

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◆ 明け渡しを経験するも再び我欲が強まる
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またしても、映画監督になりたいという妄想です。
もはや、我欲のカタマリですね。

明け渡しを経験しているのに、自我というのは、
なんと強力なんでしょうか。

でも、もう年も年だし、しかも、上の子供から8年離れて、
下の子供も生まれていました。その分、責任も増すわけで。。。

いつも昼休みに本屋に行っては、映画の雑誌などを眺めて、いいなあ、
オレも映画監督になってみたいなあとか、映像系の専門学校の広告を
見ては、いいなあ、こんな学校に通えば、映画監督になれたのかなあと
思いを募らせていました(苦笑)。

ここで大事なのは、思っているだけでほとんど行動していないところ。
これは、人生の法則に反しています。なれるわけがないですね。

とはいえ、全く行動していなかったわけではなく、
大掛かりな自主映画の制作を手伝ったり、地元で活動するホラー主体の
自主映画団体を手伝ったりしていました。

一方で、幸せになるには、お金を稼げばよいのではないかと、
よくある間違いを犯し、先物オプションという投資に挑戦しました。

元来、凝り性なので、必死に勉強してリーマンショック前は、
そこそこ儲かるようになっていました。

まあ、リーマンで軽自動車一台分くらい損切りしましたが、
それでも、トータルではプラスでした。

また、仕事でネット関連の知識があった事から、アフィリエイトにも
挑戦しました。これも、ある程度軌道に乗ると、何も作業をしなくても、
それなりの収入が入るようになりました。いわゆる不労所得です。

さらに、仕事でも結果を残し、同世代では一番に管理職になりました。
部下は30人近くになり、給料もかなり増えました。

でも、幸せにはなれませんでした。

管理職になってからは、責任が重くなり、時間がなくなりました。
そして、実務から離れてしまいクリエイティブな部分は全くなくなって
しまうという事態に。

おまけに人間関係や精神的な問題を抱える人たちも現れたりして、
ストレスが増える日々。

苦情を受けて責任者として謝罪をしたりするうちに、再び心について
関心が高まっていきました。

そうして、お金があっても幸せになれないと思い始めた僕は、
ストレスが減るとうたわれた書籍を何冊も買って読んだり、
悟りに近づくと宣伝された通信講座を受けてみたり、高い費用を払って
セミナーに参加したりし始めました。

ヒーリング系のセミナーなどは、その時は気分が高揚して、ハッピーな
気持ちになれるのですが、数週間、いや数日経つと元の木阿弥です。

先にも書いたように私は、結婚しています。子供の寝顔を見るとき、
あるいは、大好きで結婚した妻と一緒にいる時、それは幸せです。

でも、それは一瞬なのです。すぐに何か欠けたものがあるんじゃないかと、
もやもやした不安が心を覆うのです。

映画監督になれたら幸せになったかもしれない。
そういう思いがグルグルしていました。
そんなある日、衝撃的なニュースを知りました。

大学時代に映画研究部で、僕と同じように映画を撮っていた後輩が、
映画監督としてメジャーデビューするというのです。

その後輩も映画監督になりたいと、大学卒業後にCMプロダクションに
入社しました。

そこで、CMを撮りながらアピールし続けたようです。
その結果、チャンスが巡ってきて、大都市でロードショーされる規模の
映画を作ったのです。

もう、ドキドキしながら見に行きました。

初めて大スクリーンで見る、後輩の映画。学生時代にとっていた
作風と同じです。

映画はとても良く出来ていました。
メッセージもストレートで素晴らしく、笑えて泣けて、いい映画でした。

そして、映画が終わり、エンドクレジットが流れる中、
後輩よ、よくやった!俺達の夢を叶えてくれた!という思いと、
なんで、同じように映画を作っていたオレとこんなにも差がつくんだ。

オレは、地方のサラリーマン。せっかく入った映像業界からも離れてしまい、
ますます、差が付いている。。。

悔しい。そんな思いをかみしめていました。

みなさんもそんな思いを持ったことはないでしょうか。
嫉妬と憧れと、何かこう喜んでいいのか、悔しいのか、色んな感情が
入り混じった複雑な感じ。

そしてまた、素直に後輩の成功を喜べない自分がイヤでイヤで
たまらなかった事を覚えています。なんだか、すごく意地汚いのです。

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◆ 幸せとはなんだ
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幸せとはなんだろう、自分のやりたい事をしている人が幸せなんだろうか。
自分の好きなことを仕事にした人が幸せなんだろうか。

ホームシックになった大学生の頃から、そんなことを
漠然と考えていたのですが、そんな思いがますます強くなっていきました。

この頃でもう20年位も考え続けていました。

一方で、某宗教がきっかけで始めた瞑想は、日課になり、継続していました。
瞑想中は、穏やかな気持ちになり、いい気分なのですが、日常生活に戻ると
そうでもない。

あいかわらず映画監督になりたかった(もはや過去形(笑))という妄想は
頭の中をぐるぐるしているし、もうそんな事を言っている年齢じゃないと
気持ちにフタをしている自分がいる。。。

側から見るとぜいたくな悩みです。住む家があり、妻がいて子供がいる。
仕事もあるし、土日は普通に休みを取れる。

でも、悩みってそんなものですよね。他人から見ると取るに
足らないことでも、本人にとっては一大事。

そんな時、仕事上でマーケティングを勉強しようと図書館に行きました。
そうしたら、日本を代表する経営コンサルタントである神田昌典さんの
ピンク色のビジネス書「非常識な成功法則」を見つけたのです。

そこから、神田昌典さんの本にハマりました。

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◆ フォトリーディングとの出会い
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その中で憧れたのがフォトリーディングという速読法です。

もともと本が好きだったので、本を読むのが早くなるといいなという
憧れがあったのですが、フォトリーディングの本を読み、身につかず、
通信講座を買っても身につかず。。。

でも、ある日、生命保険をお願いしている代理店の方が、
フォトリーディングをされていると知りました。

この方は、僕と同い年で、同じような年頃の子供さんをお持ちで、
話が合いました。

その人に話を聞くと、どうやら本当に速く読めるらしい。

講座代は、2日間で約10万円。自分にとっては大金です。
いや、投資やアフィリエイトで、当時、そのくらいのお小遣いは
あったんですよ。

でも、気持ち的にセミナーに10万円を払うというのが、
かなり抵抗があったのです。

結局、迷って迷って、その生命保険代理店の方の言葉を信じて、
講座を申し込みました。結果は大正解でした。

セミナーの最初に先輩フォトリーダーが、フォトリーディングを
学んで人生が変わったと仰っていたのですが、まさにあの講座から、
少しずつ人生のレールが変わり始めました。

最初は単に本が早く読めるようになっただけでした。
当初は年間100冊程度、最近は200冊ペースです。
同じジャンルの本を5冊か10冊読むと、同じようなことを書いていたり、
ポイントがわかってきます。

そして、だんだんと色々な知識がつながるようになってきました。
これは、面白い変化です。

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◆ 引き寄せが強まる
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そして、2011年にソーシャルビジネススクールという社会起業家を
養成する講座に通いました。そこで、facebookとの出会いがあったのです。

このfacebookが、人との縁をつないで、大きく人生を動かすことに
なろうとは。

翌2012年、何気なく見ていると、中学生までの幼なじみをfacebookで発見。
彼は、地元でお父様の後を継いで、開業医をしています。

数年に一回、会うくらいの仲でした。
その彼が、なにやら変わったセミナーをするとのこと。
「シータヒーリング」というものを初めて知ったのでした。

シータヒーリングというのは、アメリカのヴァイアナ・スタイバルという
女性が開発したヒーリングテクニックです。

施術者が自分の脳波をシータ波にして、クライアントがリラックスすることで
それに同調し、質問を投げかけ、クライアントの思い込みを書き換え、
クライアントを癒やすというものです。

それまでは、個人的な体験として、「偉大なる何か」の存在を確信したことは
ありましたが、それを他の人に言うことはありませんでした。
やっぱり、常識からは外れていると思うからです。

でも、このセミナーは、信頼できる幼なじみが開催するものだし、
彼は、内科医で、変な宗教かぶれとは違う。
ここでもかなり迷いましたが、結局、受講しました。

衝撃的な体験でした。

こんなにスピリチュアルなことをオープンにして良い場があるのか。
なんて、暖かい人達なんだろう。

そして、それまでやってきた瞑想で、かなり時間をかけないと
到達できなかった状態に、シータヒーリングを使うと一瞬でなれることに感動。

幼なじみの彼は、西洋医学をやってきて、その限界を感じて、
シータヒーリングに行き着いたそう。

実際、西洋医学の治療と併用することで、効果をあげているのです。

フォトリーディングを学んだおかげで、潜在意識などに対する抵抗が
なかったことも良かったのでしょう。

また、瞑想を続けていたことも幸いでした。まさか、こんなことで役に立つとは
思ってもみませんでした。

シータヒーリングを習ってから、自分に対してヒーリングを重ねていきました。
そこからは、引き寄せが加速して起きるようになりました。

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◆ マインドフルネスとの出会い
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そのうちの一つが、Googleが自社の人材開発方法をまとめた
「サーチ! 富と幸福を高める自己探索メソッド」という本です。

あのGoogleが、社内教育に瞑想を使っていると書いてあるではないですか!
それは、マインドフルネスというものらしい。。。
(Google社では、Search Indide Yourself、略称SIYと呼ばれているメソッドです)

早速、マインドフルネスを学べるところを探し始めました。
しかし、日本ではほとんど教えているところがありません。

しかし、あるNPO法人を見つけました。それが、今の師匠の団体でした。
そこで、マインドフルネスを約2ヶ月かけて学びました。

目からウロコが落ちるとは、この事です。それまで、細々と続けてきた瞑想。
そこで体験してきたことが、言語化され、なぜ、瞑想中にしか、
穏やかな気持ちを感じないのか。

不幸の原因とは何かなど、体験を持って理解できたのです。

ああ、自分がやってきたことはこういうことだったのかと腹の底から
理解できたのです。

その時から、これまで自分の人生で学んできたこと、経験、スキルが段々と
クロスしてしてきました。

長年独学で続けてきた瞑想体験、仕事で培ってきた映像作りやWeb制作の知識、
文章を書くスキルを、このマインドフルネス普及のために活用すべきだと
感じ始めたのです。

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◆ いつの間にか幸せに。そして、世界平和を。
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まず、先の神田昌典さんが主宰するRead For Actionという読書会に
参加して、リーディングファシリテーターになろうと決意。

ファシリテーターになって、どうしようという計画まではなかったのですが、
心の声が参加すべきだとささやきました。

ここ2,3年はあれよあれよという間に物事が進んでいきます。

世界で日本人としては二人しかいないGoogleのSIY講師との出会い、
私のメンターの一人であり、尊敬すべき志の高いNLPの先生との出会い。

今では、「サーチ!」をテーマ本としてマインドフルネスの体験講座を
開催したり、その先の講座を開催したり。

さらには、こういった活動を進める中で遭遇した強烈なある体験により、
いつの間にか、自分をあれほどまでに苦しめていた「映画監督への執着」が、
抜け落ちたのです。

映画監督への執着だけではありません。

お金に対する執着、名誉や地位、さらには、こうあらねばならないといった
執着まで、ありとあらゆるこだわりがものすごく薄くなっていったのです。

今は、一瞬一瞬を楽しみながらも、そこにこだわらず、心の何処かでは
「どうでも良い」という気持ちで毎日を過ごせるようになりました。

それに、どうすれば幸運の流れに乗って人生に引き寄せを起こして
いけるのかということも理解できるようになりました。

これから、どんな風にこの活動が進んでいくのかは分かりません。
でも、その人生の法則に従って進んでいけば、きっと多くの方と
ご縁がつながり、多くの方がしあわせになれると信じています。

そして、この活動が、一人ひとりの心を平和にし、いつの日か世界が
平和になるとうれしいなと思っています。

これは、GoogleのSIY開発者、チャディー・メン・タンさんや
マーク・レサーさんがおっしゃっていることと同じです。

ぜひ、そうなってほしいと思います。

長い長い自己紹介をお読みいただきありがとうございました。ご縁に感謝です。

あなたの人生が幸せでありますように。

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