瞑想と坐禅の違いは?

こんにちは。

Googleが採用している幸せになる心の整理術、マインドフルネスを使って農耕型であなたの夢を見つけ、じっくりとその実現を支援するリボーンメソッドの小西イサオです。

瞑想と坐禅の違いは?

静かに足を組み、ゆっくりと呼吸に意識を向け、目を閉じて呼吸に集中していく。

あるいは、マントラを唱えながら言葉に意識を集中していく。

あなたは、これは瞑想だと思いますか?それとも坐禅でしょうか?

マインドフルネスをやっていると坐禅と瞑想に出会います。

坐禅は、禅宗で行う修行の一つ。

瞑想は、禅宗に限らず様々なヒーリングや宗教で行われているものです。

最初にご紹介したケースでは、目を閉じて集中しています。

ということで、これは厳密に言えば瞑想です。

坐禅は、目を閉じずに半眼といって薄目を開けた状態で坐ります。

また、坐禅の場合、「止」と「観」の状態があります。これは、マインドフルネスの訓練でも同じです。

集中するというのは、「止」の状態であり、瞑想は集中することを指すことが多いと考えます。

また、「観」の状態は、自分の思考、感情、身体の状態を客観的に観察している状態です。

これがマインドフルな状態ベースになります。

マインドフルネスの練習では、自分の状態を観察するといっても、いきなり「観」の状態にはなれないので、「止」の訓練をします。

瞑想の場合、ヒーリングのイメージトレーニング的に太陽を思い浮かべたり、光りに包まれる様子を思い浮かべたりすることがあります。

しかし、坐禅はイメージトレーニングは行いません。

坐禅は、今この瞬間、ここの状態に気づいていることを目指します。

心と身体の状態がどうなのか?そこに気づくのです。

つまり、今目の前の出来事に集中していくことが「止」のトレーニングになります。

坐禅の形で座っていても、心にはすぐに思考が生まれます。

仕事のこと、人間関係、予定のこと、足が痛い、どこかがかゆいなどです。

そんな時、身体は坐禅の形になっていても心が上の空になっています。

心と身体を一致させる。禅でいう身心一如こそ、マインドフルな状態です。

<今日のポイント>
身心一如こそマインドフルな状態。

では、あなたの人生も幸せでありますように。
メルマガ登録はこちらから→http://prt.nu/0/mailmagazine


■科学的にしあわせになる読書会&実践会

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

  
サブコンテンツ

このページの先頭へ