なぜ釈迦の遺骨を祀ってはいけないのか?

こんにちは。

Googleが人材開発に採用している幸せのメンタルトレーニング、マインドフルネスを中心に人生を自由に幸福に生きるコツを広めている小西イサオです。

なぜ釈迦の遺骨を祀ってはいけないのか?

今日は、宗教と偶像崇拝についてです。執着についても関連したお話です。

1年くらい前だったか、もう少し前だったかもしれませんが、地方のお寺で仏像が盗まれたことがニュースになっておりました。

お寺の住職がたいそうお怒りで、インタビューに答えていました。

それを見て、もっともだと思うとともに、お坊さんなのに、なぜそこまで怒るのかという疑問がずーっとありました。

怒るということは、仏像に執着しているということですからね。

果たして仏像に執着することは、仏教的に見て良いことなのでしょうか。

先日、読んでいた本にそれに関連したことが載っており、そうそう、これだと思いました。

仏教の始まりは、お釈迦様が悟りを開いたことからです。

お釈迦様は、その教えを広めるために、説法を行いました。

そして、生前一番弟子のアーナンダに対して、お前たちはブッダが死んでも遺骨を供養してはいけないと伝えました。そして、正しい目的のために努力しなさいと伝えたと言います。

しかし、釈迦の死後、弟子たちは釈迦の遺骨を供養して、仏舎利塔に納めました。

弟子たちは釈迦の教えを破ったのです。

いや、そもそもこれは、釈迦の教えを理解できていなかったのではないかとも思います。

遺骨の供養ということは、偶像崇拝につながります。

お釈迦様は、遺骨を崇拝することなど無意味だと言っているのです。

悟りを開くということは、執着を手放すことです。

なのに、崇拝するということは執着していることになります。

仏教に限らず、創始者の素晴らしい教えは、その死後、組織化されていくにつれて方向性おかしくなっていくように思います。

きらびやかな宗教施設や高額なお布施、その団体のトップに上り詰めるための争いなど、どこかおかしいのです。

今回、このお釈迦様の言葉を知り、最初に紹介した仏像泥棒の話がスッキリしました。

マインドフルネスは、仏教や禅が基になっていますので、この話は非常に役立ちます。

私も含めて、ストレスや苦しみは、執着から起こるのですね。

シンプルなのに難しい。マインドのくせは、非常にやっかいです。

では、あなたの人生が幸せでありますように。

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今後のイベントなど
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■「メメント・モリ(死を想う)」読書会

ラテン語の言葉に「メメント・モリ」という有名なフレーズがあります。
直訳すると「死を想え」。

人間はいつか死ぬことを忘れずに生きろという意味です。

あなたも、より良く生きるために死について考えてみませんか?

ご参考までに、死の床にある人が後悔することベスト5をお知らせします。

・もっと自分らしく自由に生きればよかった
・働いてばかりいるんじゃなかった
・もっと自分の感情を表に出す勇気を持てばよかった
・友達と連絡を取り続けていればよかった
・もっと幸せになればよかった

ぜひ、ご参加下さい。

2015年11月23日(月・祝日) 13時30分~15時30分
場所 JR神戸駅近く(参加者に直接お伝えいたします)
参加費 3,000円
定員 先着10名様
申し込み方法 下記ページからお申込み下さい。
http://www.read4action.com/rfainfo_detail.php?rfaid=1741

■著者 大平信孝さん参加『「続けられない自分」を変える本』読書会&ミニワークショップ

行動イノベーションの専門家、大平信孝さんが3冊目の本を出されることを記念して、大阪で大平さんご自身が参加しての読書会&ミニワークショップを行います。

「続けられない自分」から「続けられる自分」に変わるヒントがこの読書会につまっています。

この本のキモである、エモショーナルハビットを使い、あなたも「続けられる自分」になりましょう。

日時:12月8日(火)9:30ー11:30(開場 9:15)
場所:新大阪駅近く(参加者へ直接お知らせいたします)
定員:先着15名
参加費:5,000円
お申し込み:http://ptix.co/1PgJ6sn

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